由比正雪と村正
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慶安4年(1651年)に幕府転覆計画が露見して処刑された由比正雪がこの村正を所持していたという説があるが、これは著者不明・年代不明の実録小説『慶安太平記』等に由来する創作である。この小説は明和8年(1771年)の禁書目録に載っているなど、幕府から長く出版を禁止されていたが、幕府に不満を持つ読者の手で写本されて読みつがれてきた小説である。明治以降は活字で『絵本慶安太平記』というものも出た。 本によって内容が少しづつ違い、写本版のころから村正は登場するが、以下は『絵本慶安太平記』の概要。 由比正雪の仲間の柴田三郎兵衛は、正雪が名刀を求めていることを知り、白鞘に藤四郎吉光と書き付けてある刀を正雪に捧げる。正雪は藤四郎吉光では不満だったらしく遠慮したので、その翌日、柴田は別の家祖伝来の刀を持って来た。中身を見てみると「青江村正」の銘が入った名刀、氷のごとく恐ろしく鋭い刀だった。吉光の刀は、かつて家康が自害しようとしたとき、薬研は切れるのに何故か自分の肉に刀が刺さらず自害を止め(薬研藤四郎」)、結果として天下人になれたという、徳川家を祝福する武器である。青江村正の刀は、かつて家康が手を滑らせて血を流してしまった徳川家呪いの武器である。吉光を取るか、村正を取るかで、柴田は正雪の中にある徳川家への敵意が本物であるかどうか試したのであり、正雪は柴田の才知に深く感じ入った。 「青江村正」の名前の由来は不明だが、『松平記』では、岩松八弥が家康の父広忠を村正で差す場面の直前に、松平忠次を討ち取った鳥居久兵衛が忠次の青江の刀をその子の松平景忠に形見として返す場面がある。
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