由比正雪と村正とは? わかりやすく解説

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由比正雪と村正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)

村正」の記事における「由比正雪と村正」の解説

慶安4年1651年)に幕府転覆計画露見し処刑され由比正雪がこの村正所持していたという説があるが、これは著者不明年代不明実録小説慶安太平記』等に由来する創作である。この小説明和8年1771年)の禁書目録載っているなど、幕府から長く出版禁止されていたが、幕府に不満を持つ読者の手写本されて読みつがれてきた小説である。明治以降活字で『絵本慶安太平記』というものも出た本によって内容少しづつ違い写本版のころから村正登場するが、以下は『絵本慶安太平記』の概要由比正雪仲間柴田三郎兵衛は、正雪名刀求めていることを知り白鞘藤四郎吉光と書き付けてある刀を正雪捧げる正雪藤四郎吉光では不満だったらしく遠慮したので、その翌日柴田別の家祖伝来の刀を持って来た。中身見てみると「青江村正」の銘が入った名刀、氷のごとく恐ろしく鋭い刀だった。吉光の刀は、かつて家康自害しようとしたとき、薬研は切れるのに何故か自分の肉に刀が刺さらず自害止め薬研藤四郎」)、結果として天下人になれたという、徳川家祝福する武器である。青江村正の刀は、かつて家康が手を滑らせて血を流してしまった徳川家呪い武器である。吉光を取るか、村正を取るかで、柴田正雪中にある徳川家への敵意本物であるかどうか試したのであり、正雪柴田才知深く感じ入った。 「青江村正」の名前の由来不明だが、『松平記』では、岩松八弥家康の父広忠村正で差す場面直前に、松平忠次討ち取った鳥居久兵衛忠次青江の刀をその子松平景忠形見として返す場面がある。

※この「由比正雪と村正」の解説は、「村正」の解説の一部です。
「由比正雪と村正」を含む「村正」の記事については、「村正」の概要を参照ください。

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