田川 (河内町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/26 15:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
田川
|
|
---|---|
北緯35度52分14.9秒 東経140度17分45.1秒 / 北緯35.870806度 東経140.295861度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
郡 | 稲敷郡 |
市町村 | ![]() |
標高 | 6m |
人口 | |
• 合計 | 294人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
300-1405
|
市外局番 | 0297 |
ナンバープレート | 土浦 |
※座標・標高は田川共同利用施設付近 |
田川(たがわ)は茨城県稲敷郡河内町の大字。郵便番号は300-1405。
地理
河内町の地理的中南部に位置する。東流する利根川の北岸にあたる。北は長竿、東は金江津、南東は千葉県成田市安西、南は千葉県成田市竜台、南西は千葉県栄町矢口、西は下町歩に接する。
小字
以下の小字が置かれている[2]。
- 高江間(たかえま)
- 十二町(じゅうにちょう)
- 大野(おおの)
- 定玄(じょうげん)
- 水神下(すいじんした)
- 中野(なかの)
- 富田(とみた)
- 長畑(ながはた)
- 新兵衛野(しんべいの)
歴史
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し北羽島村・南羽島村・龍台村・佐野村・興津村・長沼村・安西新田・田川村が合併し下埴生郡豊住村が発足。豊住村大字田川になる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 下埴生郡が印旛郡に編入されたため、豊住村は印旛郡豊住村になる。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 田川が、豊住村から茨城県稲敷郡金江津村に編入。金江津村大字田川になる。
- 1958年(昭和33年)2月15日 - 金江津村は河内村に編入。河内村大字田川になる。
- 1996年(平成8年)6月1日 - 河内村が町制施行し河内町になる。河内町大字田川になる。
小・中学校の学区
町立小・中学校に通う場合、河内町立かわち学園に通うこととなる[3]。
世帯数と人口
2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
田川 | 91世帯 | 294人 |
施設
- 田川共同利用施設
- 田川揚排水機場
- 水神宮
交通
鉄道
鉄道は地内を通っていない。
道路
脚注
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat)” (日本語). 総務省統計局 (2017年5月30日). 2017年6月17日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809 1464頁。
- ^ 小中一貫校について、2018-04-21閲覧。
関連項目
![]() |
長竿 | ![]() |
||
下町歩 | ![]() |
金江津 | ||
![]() ![]() |
||||
![]() |
||||
千葉県栄町矢口 | 千葉県成田市竜台 | 千葉県成田市安西 |
|
「田川 (河内町)」の例文・使い方・用例・文例
- 隅田川河口付近で船が沈んだ
- 隅田川を航行する水上バスに乗ってはどうですか。
- 僕は毎年隅田川へ、花火を観に行きます。
- 花火大会の時、隅田川の土手は観客でいっぱいになります。
- 隅田川はもはや泳ぐのに適した川ではありません。
- 隅田川は東京湾に注ぐ.
- 毎年慶応は早稲田と隅田川でボートレースをする.
- その日の隅田川の水位は高[低]かった.
- 豪雨のため隅田川が 2 メートル増水した.
- 隅田川は東京湾に入る
- 隅田川が一丈増水した
- 墨堤(墨田川堤)の花信しきりに至る
- 隅田川の上流に競漕がある
- 隅田川は東京市中を流れて東京湾に入る
- 前は隅田川
- 隅田川にまたがる橋はいくつもある
- 東京市は隅田川の両河畔にまたがっている
- 女は隅田川へ身投げした
- 隅田川が一丈出水した
- 隅田川は東京湾に注ぐ
- 田川 (河内町)のページへのリンク