生涯・初期のキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:06 UTC 版)
「ベティ・デイヴィス」の記事における「生涯・初期のキャリア」の解説
弁護士である父を持ち、裕福な幼少期を過ごすが、幼い頃に両親が離婚。典型的なステージ・ママである母や姉の影響から脱せねばならなかった。 ニューヨークに移住後、ニュートン・ハイスクール、クッシング・アカデミー・ハイスクールでは演技・ダンスも学んだ。最初はダンサーに憧れていたが、高校時代にダンスを辞めて俳優を目指した。 ロチェスターの小劇団に在籍し、1928年に巡業劇団であるプロヴィンスタウン・プレイヤーズのオフ・ブロードウェイの舞台「Earth Between」に立ち、ニューヨーク進出を果たす。1929年に『Broken Dishes』でブロードウェイの舞台デビューを飾る。 舞台の主演女優として順調なキャリアを積んでいたが、舞台の傍ら、サミュエル・ゴールドウィンのスクリーン・テストを受けたが不合格となる。後にゴールドウィンは「彼女を雇わなかったのは最大の誤算であり間違いであった」と述べている。 やがて、映画女優の道を選んだデイヴィスは1931年にユニヴァーサル映画によって雇われ、スター男優のコンラッド・ネイゲル(英語版、スペイン語版)主演『姉妹小町(英語版、フランス語版)』でスクリーン・デビューを果たす。 ユニヴァーサル時代は作品に恵まれず、当時のユニヴァーサル幹部より「スターの素質はない」として解雇の憂き目にあうが、その後ワーナー・ブラザースと7年の専属契約を結び、名優ジョージ・アーリス主演の『The Man Who Played God』(1932)で注目され、49年までのワーナーとの契約期間に大スターとしての地位を築き上げることとなる。
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