生殖質説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:32 UTC 版)
「アウグスト・ヴァイスマン」の記事における「生殖質説」の解説
ヴァイスマンは1883年、生殖質説を提唱した。それによれば、多細胞生物では遺伝は生殖細胞、つまり精子や卵子のようなものによってのみ引き起こされる。彼がソーマ細胞と呼んだそれ以外の体細胞は遺伝には関係しない。影響は一方通行である。すなわち生殖細胞は多くの生殖細胞と体細胞を作るが、生殖細胞は体細胞がその生涯で得たいかなる変化からも影響を受けない。遺伝情報は体から生殖細胞に伝わることはなく、従って次世代に受け継がれることはない。これをヴァイスマンバリアと呼ぶ。 これがもし正しければ、ジャン=バティスト・ラマルクによって提案され、ダーウィン自身もあり得ると考えていた獲得形質遺伝説は棄却される。しかしそれは単なるアイディアであり、実証的な実験が必要だと考えた。彼はもちろん、複雑で高度な現代遺伝学のことは全く知らなかったが、体から生殖細胞系列に情報の伝達が行われないことを実験で示そうと試みた。 結果的に彼が示したのは獲得形質遺伝説に信頼できる証拠がないということであり、個体の主体性を重視するラマルキズムを否定できたわけではない。しかし生殖細胞と体細胞、個体発生と進化を区別するヴァイスマンのアイディアは総合説に基づく現在の進化生物学で一般的に受け入れられている。 生殖質説はまた変異の起源をも説明する。彼が変異の源であると当初考えていた用不用説を放棄したために、代案として提案した様々な遺伝物質デテルミナント、ビオフォア、イドを仮定した。しかし表現型の生殖質への影響は否定し続けたものの、環境の影響によってデテルミナントの方向性が変化すると述べ、この仮定は矛盾に満ちた物だった。 ヴァイスマンの研究はメンデルの法則の再発見よりも先に行われた。ヴァイスマンはメンデル遺伝学の受容に消極的だったが、次の世代の遺伝学者たちはすみやかにヴァイスマンとメンデル両方の理論を受け入れた。ヴァイスマンは今日では彼の時代よりも称賛されている。
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