生母および正室について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 06:45 UTC 版)
秀衡の生母については安倍宗任の娘とされているが、一説に基衡が安倍宗任の娘を正室に迎えたのは家督継承後で、それ以前に秀衡は生まれていたとされる。このことから、秀衡の生母は基衡が家督継承以前に迎えていた妻ではないかという推測もある。 なお、父親である基衡と秀衡自身のミイラの分析から、血液型は基衡がA型で秀衡がAB型であることははっきりしているので、秀衡の生母が誰であれ、彼女の血液型はB型かAB型と推測できる。 また、秀衡の最初の正室について『吾妻鏡』(治承4年8月9日条)や『平泉志』には「佐々木秀義の伯母」と伝えているが、一方の『佐々木系図』では秀義の母(=佐々木爲俊の妻)は安倍宗任の娘と記されている。このため、「秀義の伯母」と称される女性は基衡の正室のことで、秀衡の正室とする記述は誤伝によるものではないかとする指摘がされている。その説を採用した場合、秀衡の正室は藤原基成の娘(泰衡の母)のみであったことになる。
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