生息環境の悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:09 UTC 版)
日本では1924年に釧路湿原で再発見されるまでは絶滅したと考えられていた。後述する冬季の餌付けが成功したことで1960年代までは増加傾向にあったが、1960年代前半以降は主に電線との衝突による事故死(1964・1965・1972・1973年は生息数の約10 %が事故死し、以降は年あたり約10羽が事故死)により生息数が減少した。伊藤義孝氏が給餌をはじめその後日本野鳥の会が参加して大規模な給餌を開始したことから1970年代後半から再び生息数が増加した。生息数が増加する一方で人間への依存度が高くなり、生息数増加に伴う繁殖地の不足が問題となっている。車両や列車との交通事故、牛用の屎尿溜めへの落下事故の増加などの問題も発生し、餌付け時にカモ類やカラス類のような他種の鳥類も含めて過密化することから感染症の蔓延も懸念されている。餌づけの餌目当てに集まるキツネ類、シカ類、オジロワシやオオワシなどと接する機会が増えるが、これらのうち捕食者となりうる生物に対しては餌付け場で捕食されることはないものの見慣れることで警戒心がなくなってしまうことが懸念されている。イヌやシカが湿原の内部まで侵入しており、繁殖への影響も懸念されている。
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