生い立ち~若年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 12:53 UTC 版)
「オーガスタス・ウォラストン・フランクス」の記事における「生い立ち~若年期」の解説
英国海軍フレデリック・フランクス大佐と、第7代準男爵サー・ジョン・セブライト(英語版)の娘フレデリカ・アンとの長男としてジュネーブに生まれる。オーガスタス・"ウォラストン"・フランクスの代父を務めたウイリアム・ウォラストンは母の友人だった。幼少期、フランクスは主にローマとジュネーブで過ごした。1839年9月、イギリスのイートン校に入学し1843年までそこで教育を受けた。 その後、フランクスはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学生時代を過ごすが、その学生時代に既に彼は、ブラスラビング(英語版)拓本の蒐集を始め、畢竟、ロンドン考古協会(英: Society of Antiquaries of London)にそのコレクションを寄贈し、ケンブリッジ建築協会(英: Cambridge Architectural Society)の創立者に名を連ね、ケンブリッジ考古協会(英語版)(英: Cambridge Antiquarian Society)の初期メンバーでもあり、「レイ倶楽部」に4名いた学生会員の一人でもあった。ケンブリッジ時代の1849年にフランクスは、王立考古学会(英語版)に力を注ぎ、その後新たに設立され、その年次総会の準備として古代と中世の古美術コレクションを整理することで彼のその分野についての知識の基盤を固めた。1850年、フランクスはロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツを会場に初めて催されたヨーロッパ中世美術(英語版)の展覧会の幹事を務めた。
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