生い立ち~海軍提督へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 16:24 UTC 版)
「ピエール・ヴィルヌーヴ」の記事における「生い立ち~海軍提督へ」の解説
1763年、現在のアルプ=ド=オート=プロヴァンス県ヴァロンソルに生まれ、1778年海軍に入る。アメリカ独立戦争ではフランソワ・ド・グラス艦隊のマルセイユ号に海軍少尉として勤務。フランス革命が勃発すると、貴族出身でありながらこれに共感し、貴族のしるしである「de」をその名からはずし、他の多くの貴族出身将校が追放された海軍で勤務を続けた。革命戦争でいくつかの戦闘に加わり、1796年海軍少将に昇進した。 1798年、ナポレオンのエジプト遠征に参加。後方支援戦隊の指揮を采る。彼の乗艦であるギヨーム・テル号はナイルの海戦でのネルソンのイギリス艦隊による撃沈・拿捕を免れたフランス艦のひとつである。積極的にイギリス艦隊との戦闘に加わらなかったことは後日批判されたが、ナポレオンが「彼は単に幸運だったのだ」と擁護したため、その軍歴に影響はほとんどなかった。 1804年、ナポレオンによってトゥーロン駐留艦隊司令官に任ぜられる。ヴィルヌーヴがナポレオンから与えられた指令は、イギリス海軍の戦力を分散させるために西インド諸島へ向かい、ブレストから出撃したフランス艦隊とスペイン艦隊を合流させた後で引き返してイギリス海峡に突入し、ブローニュに駐屯しているイギリス侵攻軍をブリテン島に上陸させるというものだった。
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