生い立ち~活動初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 09:40 UTC 版)
1925年、兵庫県芦屋市に生まれる。家族構成は両親と兄と姉と妹。甲南高等女学校を経て、小林聖心女子学院に進む。 1946年夏、精道小学校で開催された芦屋市主催の市民講座に聴講に行った山崎は、講師として呼ばれた吉原治良に出会う。吉原はモンドリアンについて講演し、3日目の最終日の実習では教室の手洗い場を描かせる風変わりな講座であった。しかしこれを機に、山崎は吉原の自宅で開催された絵画教室に友人と通い、指導を受けるようになる。 1948年、小林聖心女子学院を卒業。同年、吉原が代表を務める〈芦屋市美術協会〉の「第1回芦屋市美術展覧会」に、風景を描いた6号ほどの具象絵画を出品(以降連続出品。第7回展で会員推挙、第21回展より審査委員を務める)。1950年の第3回同展ではキュビズム風の《顔》を出品しており、急激な作風の変化が見て取れる。
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