琉球新報「パンドラの箱」掲載拒否問題
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「八重山日報」の記事における「琉球新報「パンドラの箱」掲載拒否問題」の解説
2012年1月22日、ドキュメンタリー作家上原正稔が琉球新報を言論封殺であるとして訴えた「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の内情を、沖縄県下の新聞としては初めて江崎孝の投稿の形で掲載した。 上原は琉球新報から沖縄戦を主題とした連載作品を依頼され、2006年4月から年末に掛けて、第一話「戦争を生き残った者の記録」(全147回)を同紙に掲載した。しかし、2007年5月末から始まった第二話「パンドラの箱を開ける時」の連載開始冒頭に 第二話 慶良間で何が起きたのかは今、世間の注目を浴びている“集団自決”についてアメリカ兵の目撃者や事件の主人公たちの知られざる証言を基に事件の核心を突くものになるだろう。 と予告したところ、突如琉球新報担当者から掲載の拒否を言い渡され、またそのことを発表しようとする記者会見を行うことも「やめてくれ」と言われたという。その後4ヶ月の休載後、集団自決に言及した「慶良間で何が起きたのか」は飛ばして連載が再開し、2008年8月に連載終了を琉球新報社から言い渡され、連載は終了する。連載終了時、上原は再度「慶良間で何が起きたのか」の掲載を申し入れるが、書き換えを指示され、これを拒否したため原稿が掲載されることはなかった。そのため2011年1月31日に上原は憲法で保障された言論の自由を侵害されたとして琉球新報社を提訴した。その後、この掲載拒否事件は沖縄県下の大手メディアでは一切報道されることはなかった(『WiLL』や沖縄の文芸誌『うえそら文藝』の中で“これが沖縄の言論封殺だ”という題で触れられたことはある)が、沖縄の日刊紙では八重山日報が初めて報道した。この一方的な掲載拒否問題の原因について、江崎はその投稿の中で 当時(2007年)の社会的背景を知るものなら、だれでも容易に想像できる。当時、大江健三郎・岩波書店を被告とする“沖縄集団自決訴訟”が係争中であり、被告である岩波書店がR紙(琉球新報)に連載中の「パンドラの箱が開く時」に注目していたとしても想像に難くはない。 と考察している。
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