現場第一主義
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佐伯は終生「現場第一主義」を掲げ、1967年に会長に就任して以降も全国大会・予選会が行われない時期には日本各地の高等学校に出向いてレベルの向上のための指導を行っていた。それは裏を返せば旅また旅の連続で、長期間家を空けている事になっており、アサヒグラフの1972年9月1日『第54回全国高等学校野球選手権大会特集号』の巻末にはそれ故の生活を物語るカラー写真が掲載されていた。 その写真は、佐伯が兵庫県芦屋市の日本旅館で一人寂しく夕食を取っているというものだ。当誌が1967年から開始していた連載企画『我が家の夕めし』に佐伯がとりあげられたのだ。掲載当時80歳の佐伯は、妻と二人暮しだったが「長い間旅に出る日数が多い、だから家内がいつも留守居をして寂しい夕食をしているのを思うとかわいそうな気がする」というほど、家を空けることが多かった。また、本人も「家内が茶道に精進しているので夕食を家ですることが少ないものだから」という事から家にいても二人揃って夕食を取る事は稀。しかし掲載当時の頃には「他人が想像するほどの寂しさは感じなくなっていた」とも語っていた(なお、当号に掲載された夕食の献立は、ごはん、炊き合わせ(小芋・筍・海老・絹さや)、胡瓜と蛸の酢の物、玉子豆腐、漬物のようなものであった)。
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