現代劇から時代劇へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 02:50 UTC 版)
片岡千恵蔵の片岡千恵蔵プロダクション、市川右太衛門の市川右太衛門プロダクションで数本ずつ出演したのちに、1934年(昭和9年)夏に日活京都撮影所に入社する。トーキー時代に突入すると完全に時代劇に転向、1937年(昭和12年)にはマキノ正博・稲垣浩共同監督、阪東妻三郎主演の『血煙高田の馬場』(1937年)、マキノ監督、千恵蔵主演の『自来也』、翌年の『忠臣蔵 地の巻』(監督池田富保)、『忠臣蔵 天の巻』(監督マキノ正博)などに出演、さらにマキノ・千恵蔵コンビの『弥次㐂夛道中記』や『鴛鴦歌合戦』といったミュージカル作品にも活動分野を広げる。 1942年(昭和17年)1月の戦時統合による合併では大映に残留、終戦直前の1945年(昭和20年)7月12日に公開された伊藤大輔・稲垣浩共同監督の『東海水滸伝』に出演している。戦後は出演作品もまばらとなり、1950年(昭和25年)の上山草人主演の現代劇『龍眼島の秘密』、そして1961年(昭和36年)7月19日公開の『宇宙快速船』の出演を最後に活動を確認できず、すでに故人と推定されるが、没年月日・死因等は明らかになっていない。
※この「現代劇から時代劇へ」の解説は、「石川秀道」の解説の一部です。
「現代劇から時代劇へ」を含む「石川秀道」の記事については、「石川秀道」の概要を参照ください。
- 現代劇から時代劇へのページへのリンク