王氏とは? わかりやすく解説

王氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 07:22 UTC 版)

氏爵」の記事における「王氏」の解説

王氏は諸王集団であり、令制では皇玄孫四世)までを範囲としていた。慶雲3年706年)に五世王まで拡大されるが、貞観12年870年)に諸王の数が429名に定められた。嵯峨天皇以降臣籍降下増加し諸王の数は減少する。『西宮記巻1に「王氏(一親王挙、四世以上、依巡)」とあるように、推挙第一親王親王の中で官位の最も高い者)の役割だったが、法親王制の確立により親王がいなくなり平安時代中期には諸王中の最高位者、平安末期には花山天皇の子孫で神祇伯世襲した白川伯王家が、王氏長者として氏爵を行うようになった。ただし王氏長者呼ばれることはほとんどなく、「是定」と称されることが大半であった宝徳元年1449年)には白川家が行うのは略儀であるとして、再び第一親王推挙戻された。

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王氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:35 UTC 版)

是定」の記事における「王氏」の解説

王氏は諸王集団を指す呼称だが、氏爵は王氏出身者ではない第一親王親王の中で官位の最も高い者)が担当した天暦7年953年)の元平親王陽成天皇の第2皇子)、長元4年1031年)の敦平親王三条天皇第3皇子)は是定呼ばれている(『権記長徳4年 (998年) 11月19日条、『小右記長元4年1031年3月1日条)。院政期法親王制度確立して世俗親王がいなくなると、花山天皇の子孫で神祇伯世襲した白川伯王家氏爵を行うようになった。ただし同家当主自身が王氏長者称したことにより、是定とは呼ばれていない。宝徳元年1449年)には氏爵権限が再び第一親王移り、王氏是定制が復活した(『康富記12月11日条)。

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