朝鮮の王氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 06:51 UTC 版)
朝鮮半島で918年に王建が建国した高麗では、王氏は王族として栄え、家臣にも王姓を下賜(かし)したため、高麗末期には王氏の人口に占める割合は大きかったという。 ところが、高麗を滅ぼし李氏朝鮮を建国した李成桂は、1394年に旧高麗勢力の叛乱を懸念し、主だった高麗王族を殺害した上で王族の血をひく王氏を一ヶ所に集め皆殺しにした。生き残った者は、姓を玉、全、田などに改めて逃げのびたという伝承がある。また、かつて王姓を与えられた家もすぐさま元の姓に戻している。李氏朝鮮の体制が盤石になった後も王氏の摘発と弾圧は形骸化しながらも続き、17世紀になって中国系の済南王氏が帰化するまで解かれなかった。 現代の韓国では李氏朝鮮時代に帰化した数系統の中国系王氏が存在し、人口は2万人程度である。
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