王子との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:26 UTC 版)
「マクシマ・ソレギエタ」の記事における「王子との出会い」の解説
1999年、米国ニューヨークで銀行に勤めていたマクシマは、友人主催のパーティーのあったセビリアのバルで、親戚に紹介された女性と一緒にいたオランダのウィレム=アレクサンダー王子と知り合う。 2000年頃、2人の交際が公になり、オランダ国内で大きな議論を巻き起こした。マクシマの父ホルヘが、軍事独裁政権であったビデラ政権の閣僚であったことが問題視されたのである。反体制派ヘの拷問や殺害、拉致といった「汚い戦争」を引き起こした軍政の大臣の娘と、次期王位継承者との結婚を許していいものか、もし結婚を選ぶなら王位継承権を放棄すべきだ、との世論がオランダ・アルゼンチン双方の国民の間から巻き起こった。その後、オランダ議会の調査により、ホルヘ自身は「汚い戦争」には直接関与していなかったが、軍政下でそうした行為が行われていたことは本人は否定しているものの、大臣として知っていたと結論づけた。 2001年1月31日の女王ベアトリクスの誕生日、女王夫妻とウィレム=アレクサンダー、そしてマクシマが並んで写された写真が公表され、女王と王配クラウスが2人の結婚に賛成の意向を示していることを公に示した。
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