独立に向かう頃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:32 UTC 版)
「トーマス・ジェファーソン」の記事における「独立に向かう頃」の解説
ジェファーソンは法律実務を行う傍ら、1769年からアルベマール郡選出のバージニア植民地議会議員となった。1774年にイギリスの議会で耐え難き諸法が成立した後、それに反対する決議文を書き、それが拡大されて初めての出版物となる『イギリス領アメリカの権利に関する要約』に結実した。耐え難き諸法に対する当初の批判はそれが合法かつ合憲かということが焦点だったが、ジェファーソンは植民地人は自分達を治める自然の権利があるという急進的な考えを提案した。またイギリスの議会はイギリスでのみの議会であり、植民地において立法する権限は無いとも主張した。ジョージア3世については、「王は人民の召使であり、主人ではない」と明言した。 この文書は第一次大陸会議に向かうバージニア代表団のための指示書として意図されたものだったが、ジェファーソンの考え方はあまりに急進的でその代表団には合わないことが分かった。ジェファーソンは実際には革命を提唱するまでには至っておらず、植民地を「英領アメリカ」と呼んでいるが、それでも、この小冊子がアメリカ独立の理論的枠組みを作ることに貢献し、ジェファーソンは最も思慮深い愛国的代弁者として注目された。
※この「独立に向かう頃」の解説は、「トーマス・ジェファーソン」の解説の一部です。
「独立に向かう頃」を含む「トーマス・ジェファーソン」の記事については、「トーマス・ジェファーソン」の概要を参照ください。
- 独立に向かう頃のページへのリンク