独島爆破論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:23 UTC 版)
米国務省外交文書によれば、1962年10月の中央情報部長時代に日韓国交正常化交渉にむけての大平正芳外相との会談で、竹島 (島根県)の領有権問題に関し、金鍾泌は、日本側の国際司法裁判所への付託を拒否したうえで、日本側に独島問題の解決策として独島の破壊(爆破)を提案した。金鍾泌中央情報部長は、東京での池田勇人総理及び大平外相との会談後、訪米。1962年10月29日のディーン・ロスク国務長官との会談において、ロスク長官が「独島は何に使われているのか」と問うたところ、金部長は「カモメが糞をしているだけ」と答え、独島破壊案を自分が日本側に提案したと明かした。 のちに韓国国内でこの「独島爆破論」が問題視された時には、金鍾泌自由民主連合総裁は「日本には絶対に独島を渡すことはできないという意思の表現だった」と弁明している。また2010年の朝鮮日報の取材に対して金鍾泌は「国際司法裁判所で日本のものだという判決が出ても、すべてを爆破してなくしてしまってでも、あなたたちの手に渡すつもりはない」と激高して発言したと回想しているが、これは米国務省外交文書集「東北アジア1961-1963」収録関連会談記録の様子とは趣が異なる。
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