独断の長沙進攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:45 UTC 版)
第11軍部隊が汨水南岸の第37軍包囲作戦を進めている頃、阿南軍司令官は長沙進攻に熱意を燃やしており、慎重な意見を述べる参謀を深夜まで説得する一幕があった。12月27日、第11軍参謀部は支那派遣軍総司令部に長沙進攻の許可を求め、武漢警備中の独立混成第9旅団を戦場へ呼び寄せた。しかし総司令部からの返事は阿南軍司令官の期待したものではなかった。 12月29日、第3師団の豊嶋師団長は軍司令部に対して「長沙進攻」を意見具申した。この日、阿南軍司令官は「独断」による長沙進攻を決心し、長沙方面へ向かう追撃を命令した。この独断を事後承認したことについて、支那派遣軍総司令官畑俊六大将は非常に不満に思っていた。また、この命令は第3師団以外の部隊にとっては不意打ちのもので、各部隊とも兵站などの準備がまったく無く以後の足並みが揃うことはなかった。 長沙進攻の命令を受け取った第3師団は、第37軍に対する包囲移動をやめるとすぐに長沙への突進を開始した。一方、突然の命令を受け、すでに第3師団が長沙へ向かっていることを知った第6師団長神田正種中将はこの事態に憤慨したが、やむなく不眠不休による進撃を開始した。
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