片山の走り NRとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:56 UTC 版)
「片山敬済」の記事における「片山の走り NRとの関わり」の解説
77年にチャンピオンを決めたフィンランドのイマトラは、コース内に踏切のジャンピングスポットがある公道GPコースであり、片山が得意としていたコースの一つである。また、70年代の雨のグランプリでは他を寄せ付けない速さを見せ「雨の片山」との異名を持っていた。このことから「片山は悪条件下で速いと」評する向きもあるが、70年代はとにかく「速かった」のである。70年代末期から80年代初頭に開発が進まないNR500と過ごした時期については、引退後の自著『片山敬済 AURA LEGEND』誌の文中「NR時代を過ごしたおかげで"ヒラリング"技術が低下した」(p184)と自らのコーナリングテクニックについて述懐している。そんな不遇の80年代初頭には、ホンダでのGP参戦すら適わない状況の中、市販ロードレーサースズキRGB500で4位入賞も果たしている。TZ350での快走や、テストもままらない500ccクラスでのプライベート・スズキRGB500での上位入賞などを背景にすると、「片山の走り」とは、どんなバイクも速く的確に乗りこなせてしまう適応性が高いタイプ(同じようなタイプは平忠彦もコメントしているエディ・ローソン)。その過剰なまでの自信が、当時常識を逸脱したホンダNR4ストローク500ccのGPマシンでのチャレンジに向かわせたのだろうが、レーサーとして脂の乗り切った4年もの歳月を「無駄」に過ごした代償は余りにも大きかったと、以後のモータースポーツシーンで語られる場合が多い。
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