片山伯耆との早駆け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 15:33 UTC 版)
久盛が一ノ瀬城にいたころ、弟の片山伯耆守久安が年始の挨拶にやって来た。久安が3尺3寸という異常に長い太刀を差しているのを見た久盛は、「お前が武技に優れていることはよく知っているが、それにしてもそのような大業物では抜刀に差し支えるであろう。もっと短い刀にした方がよい」と戒めた。 祝儀の酒盛りがすむと、新年の乗り初めとなり、兄弟は馬を並べて早駆けをした。弟の久安は、長太刀を差したまま乗馬し、早駆けの途中でその長太刀を馬上で素早く抜いたかと思うと、片手綱で駆けながら数十回振り回し、体を一ひねりさせて太刀を鞘に収めた。見ていた久盛、「やあやあ、見事にやりおった。わしもやってみよう」といって2尺3寸の佩刀を抜き放ってしばらく振り回したまではよかったが、駆けながら鞘に収めることがどうしてもできず、やむなく刀を草むらに投げ出して駆け戻った。久盛は「参った。抜くには抜いたが、鞘に収めるのに手こずるとは。さきほどはお前に長太刀は無用といったが、取り消す。これからはいくらでも長い太刀を差すがよい」といい、以後は自身も長太刀を供の者に担がせて歩くようになった。 これには後日談がある。岩屋城主・中村氏と親交があった久盛は、あるとき、供を連れて岩屋城に向かった。弟の影響で、供の一人には愛用の長太刀を担がせていた。乗馬のまま久米川を渡っていたとき、2尺もある川の鯉が馬に驚いて空中に跳ねた。その瞬間、中間の担いでいた太刀に久盛の手がかかった、と見る間に片手綱のまま抜き打ちし、鯉は真っ二つになった。それを中間がすくい取り、岩屋城で料理して中村に食べさせたという。
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