熊野神社_(板橋区熊野町)とは? わかりやすく解説

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熊野神社 (板橋区熊野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 13:57 UTC 版)

熊野神社

鳥居と拝殿
所在地 東京都板橋区熊野町11-2
位置 北緯35度44分30.2秒 東経139度42分23.8秒 / 北緯35.741722度 東経139.706611度 / 35.741722; 139.706611座標: 北緯35度44分30.2秒 東経139度42分23.8秒 / 北緯35.741722度 東経139.706611度 / 35.741722; 139.706611
主祭神 伊佐奈美命速玉之男命事解之男命
社格 村社
創建 応永年間(1394年-1428年
本殿の様式 神明造
別名 導きの社、熊野町熊野神社、くまくま神社
例祭 9月13日(祭礼日)と近い土日(宵宮、本宮)
地図
熊野神社
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都板橋区熊野町に鎮座する神社。旧社格村社熊野町熊野神社(くまのちょうくまのじんじゃ)、くまくま神社とも通称される。

由緒

当社は熊野宮とも熊野三社権現とも称し、また単に熊野社とも呼ばれていた。旧社格は村社。 応永年間(13941428)に宇多天皇の皇子、敦実親王14代孫にあたる庭田主水正氏兼が豊島郡中丸村に移住し、祖先以来崇敬の厚かった熊野権現を勧請したことに始まる。以来中丸村周辺の鎮守となり天正15(1587)年に氏兼5代孫にあたる忠経の時に現在の地に遷ったとされる。江戸時代数度の社殿造営が行われ、大正2(1913)年にも造営されたが昭和20(1945)年5月25日の空襲で一切の建物が焼失した。同23(1948)年に仮社殿が建てられ、同40(1965)年~43(1968)年にかけて本殿、社務所などが再建されて境内の整備が行われ、平成6(1994)年には御鎮座600年を迎えることとなった。明治以前までは南町西光院が別当として兼務していたが、明治の神仏分離令などにより豊島区の長崎神社の兼務社となり、昭和7(1932)年に独立、昭和19(1944)年に村社に列格された。[1]

祭神

境内

  • 幻想の庭:本殿左側にある日々変化していき、あらゆるものが混ざり合い共存する不思議な空間。摂末社がたくさんある。
  • おもかる石:石灯籠の前で願い事を祈り灯籠の上の石を持ち上げて、その時に感じる重さが想像より重ければまだ努力の必要あり、軽ければ願い事が叶いやすいとされている占い石。
  • 厄割良縁石:都内で最初にできた厄除と良縁を司る石。

摂末社

祭事

毎月1日、13日、15日:月次祭

文化財

板橋区有形文化財(古文書)

  • 熊野町熊野神社文書 - 平成30年8月23日指定

氏子区域

交通アクセス

脚注

参考文献

外部リンク




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