火災と洪水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/02 16:08 UTC 版)
リュクデは時代とともに何度も火災や洪水の被害に悩まされてきた。15世紀から18世紀までに限っても、建て込んだ旧市街は19回都市火災に遭い、このうち2回は完全に灰となった。1797年の大火は、街をほぼ完全に破壊した。火災は市の南西部、現在の郷土博物館付近から始まり、数時間のうちに、当時315棟あった家屋のうち243棟が焼失した。200棟以上が同じ様式で3年以内に再建された。住民たちには、革袋に消火用水を用意しておくことが義務づけられていた。消火用水はエンマー川から引かれており、約120の泉があった。 2000年代に洪水被害防止施設が建設されるまで、リュクデの市民は、エンマー川が溢れ、洪水となる危険に絶えずさらされていた。中核都市では1946年、周辺の住宅地区では1998年に洪水に見舞われた。 1802年、この街はプロイセン軍に占領され、その後プロイセン王国に属すこととなり、ヘクスター郡に編入された。1803年から1813年のフランスによる占領の時代には、リュクデはジェローム王が統治するヴェストファーレン王国に属した。ナポレオン支配が終焉すると、本市は再びプロイセンに返還された。
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