火災と廃絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 22:03 UTC 版)
本遺跡の遺物は古墳時代前期後半(4世紀後半)に限られており、集落は短期間で消滅したとみられる。既述のとおり、精査済みの竪穴建物12棟のうち5棟は火災に遭っており、火災後に復興を図った形跡がない。これら5棟の焼失建物のうち、SI10・13・19の3棟は隣り合っているが、他の2棟(SI8・17)は離れた場所にあり、「延焼」が起きたとは考えがたい。加えて、これらの建物は土屋根であったことから、延焼は発生しにくかったと思われる。5棟とも、火災後に「片付け」を行った形跡がないことを含めて勘案すると、これら5棟は失火ではなく人為的に起こされた火災で焼けたものとみられる。SI13建物跡からは焼骨が検出された。骨片の骨組織形態学的分析結果からは、他の哺乳動物ではなく人の骨である可能性が高く、しかも、死後まもなく、皮膚や筋などの軟部組織が残存している段階で焼けたものとする所見が発表されている。人為的な火災が起こされた契機としては「戦争」あるいは集落の廃絶に際して火を放った等のことが想定されるが、たしかなことは不明であり、さらなる調査の進展を待って検討すべき課題である。
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