漢訳万葉集選
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銭稲孫の『万葉集』翻訳は、『万葉集』を世界各国の言語に翻訳しようとしていた佐佐木信綱の目にとまり、佐佐木の依頼によって銭稲孫は『万葉集』の漢訳作業にたずさわった。翻訳事業は1940年にはじまり、佐佐木が訳すべき歌を選んで、銭稲孫が翻訳し、それを市村瓚次郎が校閲するという方式で行われた。1944年に完成する予定だったが、戦争の激化によって連絡がとだえてしまった。戦後の1955年に再び連絡がとれるようになり、すでに故人となっていた市村にかわって鈴木虎雄が校閲に加わった。1959年に『漢訳万葉集選』として日本学術振興会から出版された。佐佐木が選んだ280首ほどに、銭稲孫が自ら選んだ二十数首を加えた311首(『詩経』の篇数と同じ)が含まれている。『漢訳万葉集選』には銭稲孫の序、佐佐木信綱の縁起・新村出の後語・吉川幸次郎の跋がついている。 中国では銭稲孫の訳稿をもとに文潔若が編集した『万葉集精選』が1992年に出版された。こちらは690首を含んでいる。 『万葉集』の中国語訳は銭稲孫以前に1920年代の謝六逸が数篇を翻訳しているが、銭稲孫のものはそれよりもずっと量が多かった。また、謝六逸は口語自由詩で訳しているのに対し、銭稲孫は文語で、とくに『詩経』に似た文体で訳した。鄒双双によると、銭稲孫自身が文語になじみが深かったこと、読者対象として中国人だけでなく日本人を意識したことによるという。
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