漢・新代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:42 UTC 版)
紀元前209年に秦が滅びた後も、前漢にその中央集権制は受け継がれ、官印が製造・支給された。途中、王莽の簒奪による新の建国があったがその際も大きな影響を受けず、官印の支給は220年の後漢滅亡まで続くことになる。 制度としては秦の制度をそのまま受け継いだ形となったが、制度はやや複雑化している。皇帝だけでなく皇族や諸侯で王号を称する者にも「璽」を用いるようになり、さらに将軍の印は「章」と呼ばれるようになった。また印綬の色、鈕(ちゅう、印の持ち手)の形や材質によって身分が区別されるようになった。大きさは方寸であったが、下級の官吏の場合は認められず、縦半分に割った大きさの「半通印」と呼ばれる印を使用しなければならなかった。この他、五行思想に基づき文字数を5文字にまとめるということも行われた。 漢の官印の文字は、秦とは異なり公式書体の小篆そのものではなく印用にアレンジされた印篆を用いており、秦印と比べると文字が角ばっている。白文で印材は銅。章法も秦印の枠を廃止し、印面に文字をそのまま入れるようになった。文字が角ばっているため、文字数が多いと印面にみっちりと詰まった感じを受ける。この形式も独特のものとして「漢印」と称される。 なお、日本で発見された志賀島金印こと「漢委奴國王印」も漢印である。
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