漁船幸吉丸との衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:38 UTC 版)
「フェリーたかちほ」の記事における「漁船幸吉丸との衝突」の解説
2007年2月9日、9時54分ごろ、 那覇港から東京港へ向かっていた本船は、種子島の種子島灯台から南南東に40.3海里の地点で、漁船幸吉丸と衝突した。衝突により、本船は両舷船首部の外板に擦過傷を生じ、幸吉丸は船体中央で分断され沈没した。幸吉丸に乗船していた船長、甲板員、取材のカメラマンの3名は救命いかだに乗り移り、脱出した。連絡が途絶えた僚船からの通報で、10日14時30分から捜索が開始され、脱出時に甲板員が投下した漁具用ラジオブイを手掛かりに、12日10時20分ごろ海上保安庁のヘリコプターにより発見され、12時ちょうどごろ巡視船に救助されたが、脱水症、下肢の凍傷などを負った。本船は衝突に気付かないまま続航して10日に東京港へ入港、その後折り返して那覇港へ向かって航行中の12日に連絡を受け、13日の那覇港入港後に船首部の擦過傷を確認、海上保安庁への通報が行われ、付着した塗料の鑑定で衝突が判明した。 事故発生時、現場海域は停滞前線の影響により、南西の強い風が吹き、波浪の高い状況だった。本船は安全管理規程では2人当直体制が定められているが、必要に応じて甲板手を整備作業に当たらせることが常態化していた。事故発生時も三等航海士と甲板手が船橋当直に当たっていたが、甲板手を作業に当たらせ三等航海士のみで当直を行っており、波浪および降雨で視程が低い中、レーダーを適切に使用するなどしなかったため、幸吉丸に気が付かなかった。幸吉丸は延縄を投入して漂泊中で、船長は作業日誌の記入を行っており、レーダーに接近警報が設定されていたが、雨雲を誤認識しないよう利得を絞ったため作動せず、衝突まで本船に気が付かなかった。事故原因は、本船の見張り不十分とされたが、幸吉丸が見張り不十分で警告信号を行わず、衝突回避措置をとらなかったことも一因とされた。
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