源仲章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 06:25 UTC 版)
源 仲章(みなもと の なかあきら)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての貴族・御家人・儒学者。宇多源氏、左大臣・源雅信の後裔で、河内守・源光遠の子。官位は従四位上・文章博士。
注釈
- ^ 実朝暗殺について御家人共謀黒幕説を唱える五味文彦は、仲章が今日で言うところの二重スパイの役目を果たしていたとして、その二重スパイ的な立場から彼自身が初めから襲撃の目標に含まれていたのではないかと主張している。実朝は北条氏の傀儡ではなく将軍親裁が機能しており、後鳥羽上皇との連携を目指した実朝に対し、北条義時・三浦義村ら鎌倉幕府の御家人が手を結んで、実朝および後鳥羽と実朝を結びつける後鳥羽の近臣・仲章の排除に乗り出したとする[2]。ただし『愚管抄』によれば、義時は実朝の命で太刀を捧げて中門に留まっており、実朝に同行した仲章が義時と誤認されて殺されたと記されている。公暁の標的は実朝と義時であって、義時が暗殺を免れたのは全くの偶然ということになり、御家人共謀説(や義時黒幕説)は成り立たないとの批判もある[3]。
- ^ 平泉隆房は『愚管抄』の記述が事実であり、『吾妻鏡』は義時が目の前で発生した将軍殺害を防げなかった失態を隠蔽するために現場にはいなかったと曲筆したのではないかとしている[4]。
出典
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