測量組織の再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:01 UTC 版)
1884年(明治17年)、(陸軍)参謀本部に測量局が発足。内務省地理局が行っていた大三角測量は陸軍測量局に移管された。この年、麻布に一等三角点「東京」が設置され、仮経緯度原点とされた。一等三角点「東京」の経度はチットマン点の数値、緯度は肝付点の数値から算出された。なお1884年(明治17年)に一等三角点「東京」において、一等三角点「鹿野山」を方位点とする原点方位角が計測された。 当時、内務省(および業務を引き継いだ陸軍)と海軍とで、グリニッジ子午線を本初子午線とした際の経度の値が異なる問題があったが、1885年(明治18年)9月には両者の間で調整が行われて、経度が統一された(複数の経度差測定の平均値が採られた)。これに伴い、チットマン点は東経139度44分30秒3と定められ、1886年(明治19年)2月の官報号外で告示された。 1888年(明治21年)、複数の組織の間で重複していた業務が整理された。内務省が行っていた陸上地図業務は参謀本部陸地測量部に移された。また海軍観象台の天体観測業務は文部省に移管され、海軍観象台は帝国大学付属東京天文台になった。
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