清心流のその後とは? わかりやすく解説

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清心流のその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 06:15 UTC 版)

菊地和雄」の記事における「清心流のその後」の解説

1983年宗家菊地和雄死後宗家長女二代目襲名1985年東京総本部指導員退館し独自会派起こしたため、本部指導員不在となり閉鎖よぎなくされ、宗家長女二代目継承をしたが、その後本部閉鎖した。それにより地方各支部単一活動よぎなくされ本部全国組織は自然消滅となり各支部他流への転向解散又は単一道場会派清心流減退した1987年、旧本部員を中心に日本清心流空手道連盟会長西田隆/飛翔会)が設立され存続する旧地支部(7支部)への再結集一度はなされたが連盟本部地方支部長との考え方相違大きく大半地方支部脱退し再統一には至らなかった。 清心流継承問題においては菊地和雄死後より様々な論議なされているが菊地宗家の妻は「清心流皆様のもの」と話している。二代目一時継承し放棄した娘も若くして他界したため、統一され組織体がないこともあり会派道場単位のものとなっている。 当初、旧本部館長であった西田隆を中心とする西田派、旧全日本清心会(清心流全国組織)副会長であった岡田孝慈(千葉県松戸支部長)の岡田派が生まれその後地方支部集まり清心流空手道協会設立され宇都宮支部長であった疋田清拳を会長とした疋田派の三派に大きく分かれ分裂した岡田派の岡田孝慈が他界し岡田派は疋田派に加わる形になったが、旧竜ヶ崎支部長岡田派に加わっていた中山勝雄は疋田派には移行せず日本空手道清心会として日本空手道連合会全日本空手道連盟)へ清心会として会派登録した。これにより西田派、疋田派、諸派という形になっており、NPO法人全日本清心会以外の各派数名から数十規模町道場単位のもので流派会派としての実質的な体制整っていないのが実情である。 その後疋田派は参加していた岡田派が抜け規模縮小した国内外組織基盤を持つNPO法人全日本清心会(旧札支部)や米山派(旧熱海支部)は新派としての独自路線歩んでいる。その他、岡田孝慈より指導を受け、疋田派より脱退した松戸支部員が千葉派清心館を立ち上げ、現在は正統清心流空手道総本部名乗っている。

※この「清心流のその後」の解説は、「菊地和雄」の解説の一部です。
「清心流のその後」を含む「菊地和雄」の記事については、「菊地和雄」の概要を参照ください。

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