涌谷の花競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 00:26 UTC 版)
「宮城県における花競馬」の記事における「涌谷の花競馬」の解説
1931年(昭和6年)9月9日付け河北新報記事には、遠田郡愛馬会が涌谷町内の江合川沿岸の馬場用地を整地のうえ、9月15日の県社・黄金山神社祭典の際に花競馬を挙行する予定との記述がある。この開催には、米国で花形女性騎手として名高いという涌谷出身の鎌田女流騎手が参加すると報じられている。 この競馬が余程の大盛況に終わったのか、早速翌10月には涌谷町上谷地に一周800mの競馬場が建設され、11月1日から3日間に東北6県と北海道より出走馬を募り大競馬会が開催される事となった。この開催は賞金総額が1000円と、花競馬としては破格のものであった。出走馬136頭の中には山形のショウリュウ、青森の第三イルランド、グレース、福島のイナミ、北海道のオーシャン、宮城のナルコー、ヤングマン、第二タマツル、第八オンセン、ミスホンビーム、マツノイといった各地で優勝経験もある名馬が集まると報じられている。これは花競馬としてはかなりのレベルの高さであり、一月前の10月上旬に石巻競馬場 (水押)で開催された公式競馬で、開催一日目の第10レースを第八オンセンが優勝し、開催二日目の第9レースをミスホンビーム、第10レースをナルコー、第11レースをヤングマンがそれぞれ優勝し、開催三日目の11レース内国産馬優勝決定競走ではショウリュウが優勝している事が確認されている。開催結果を報道する記事は見当たらない。 なお、「小牛田の町の物語」には、涌谷で上記の競馬会が開催されたのは「昭和5年11月である」と記述されているが、それは著者が河北新報の記事の日付を誤認した事による誤りである。 他、1932年(昭和7年)4月30日の河北新報記事に、5月1日に涌谷大橋下の遠田愛馬会調馬場にて、涌谷神社奉納花競馬を行う予定であるとの記述がある。
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