涌羅野山慈眼寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:10 UTC 版)
明治の神仏分離令以前には古義真言宗の寺院、涌羅野山慈眼寺が神宮寺としてあった。 当時の神社境内には仏教設備として鐘楼、護摩堂、薬師堂があった。 塔頭寺院筆頭である持寶院の創立が白雉年間と伝わり、史実であるとすれば慈眼寺の創設はそれ以前となる。 古義真言宗本末帳によると、「高野山寶城院末」として、「御朱印10石寺中分配、加東郡社村涌羅野山慈眼寺之中三宇」とあり、「慈眼寺之中、持寶院、末寺4宇」「善龍院、末寺1宇」「一乗院、末寺2宇」等とある。 播磨鑑には「涌羅山慈眼寺、社僧、善龍院、持寶院、松林院」とある。 明治維新の折に慈眼寺は廃寺となり、現在は持寶院と善龍院のみ残っている。佐保神社にあった仏教関連の品は一部持寶院に移された。
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