消滅した富士塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:13 UTC 版)
磯部富士: 元禄年間、富山藩主前田正甫が富山城の西方(現在の富山市磯部町、鹿島町、鉄砲町、七軒町にまたがる一帯)に庭園の一部として富士山を造成。明治時代以降も、富山県護国神社の境内に含めて存続してきたが、1957年3月に除去されている。 柳森神社の富士塚: 秋葉原の電気街から少し離れた、神田川の対岸にある神社で、入口から入って右手、コンクリート製の階段と手水舎に挟まれた敷地の角に、富士塚に使われていた岩や碑などが積み上げられている。他にも境内にある石を観察すると、富士塚由来と思われる火成岩が見つかる。 目黒富士(元富士・新富士): 目黒区上目黒・中目黒にあった2基の富士塚。元富士は1939年(昭和14年)、新富士は1959年(昭和34年)に破壊された。新富士跡地では、1991年(平成3年)に「胎内洞穴」が発見された。 横浜市港北区の富士塚: 横浜市港北区富士塚2丁目19付近にあり標高40メートル。住宅地の開発で消滅したが町名に名残を残す。
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