消息不明の原因に関する諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:35 UTC 版)
「畝傍 (防護巡洋艦)」の記事における「消息不明の原因に関する諸説」の解説
本艦はフランス艦伝統のタンブル・ホーム(英語版)構造を採用した結果、甲板面積が狭くなり、その狭さを上部構造物を高くすることで補ったためにトップ・ヘビーで復原性が不足するという、フランス艦伝統の欠陥まで併せ持っていた。さらに三本マストに加え、日本側の意向により過大な武装を搭載したため、トップ・ヘビーと復元力不足がさらに増大しており、そのため南シナ海で設計の想定外である台風に遭遇して転覆沈没したという見方が有力である。また台風でなくとも、急に舵を切ると艦が大きく傾斜し、そこに横波を受けると復原力不足から一瞬で転覆する危険性もあった。畝傍の喪失は、日本海軍がフランス式の設計をとりやめる一因になった。 喪失当時、台風で沈没したとしても普通は何らかの漂流物が見つかるものであると考えられていたが、何も見つからなかったため、幾種もの伝説が生まれた。「畝傍は南洋の無人島に漂着して修理している」、「畝傍は海賊に拿捕され海賊船として活動している」、「畝傍は清国海軍に撃沈された」など、様々な憶測が語られた。冒険小説家押川春浪は、西南戦争を生きのびた西郷隆盛が畝傍に乗船してシベリアを冒険するという小説を発表した。中にはこっそり後をつけてきたロシア帝国海軍に捕獲されたというものまであり、この噂は日露戦争の際に「捕獲された畝傍がバルチック艦隊の一員として日本に襲来する」と言われるまでになったと伝わる。[要出典]
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