浅田研究室時代
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1993年4月、大阪大学工学部電子制御機械工学科の浅田稔研究室で助手に着任。ロボットを作れることが採用の理由だったという。この間、ビジュアルサーボ(英語版)や歩行ロボットの強化学習などの研究に従事。浅田らのサッカーロボットの研究に参加し、カメラでボールを認識して追う動作を強化学習で実現。この研究は日本ロボット学会の論文賞を受賞し、NHK教育の『サイエンスアイ』でも紹介された。 ビジュアルサーボでは画像上の追従対象の座標の速度とロボットの関節速度を対応づける「画像ヤコビアン」(厳密には行列)を用いる。通常これはモデル化を行うが、細田はロボットの構造が分からない状態から、カメラ座標と関節角度の情報から逐次最小二乗法で画像ヤコビアンを推定する手法を開発した。1997年2月には助教授に昇進する。 1998年4月から翌年3月まで、チューリッヒ大学客員教授としてロルフ・ファイファー(英語版)のもとで受動歩行の研究に従事。スイス滞在中にオランダ・デルフト工科大学マータイン・ヴィッセの研究を知り、感銘を受ける。細田は国際会議を利用して同大学を訪問し、ロボットや図面のコピーの許可を得る。2001年には石黒章夫や小林宏とともにファイファーの著書『知の創成 ― 身体性認知科学への招待 ―』の訳本を出版する。
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