流罪と文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:15 UTC 版)
流罪にされる場合、暴力犯より政治犯が往々にして遠くに飛ばされる。政治犯は多くの場合文化人であり、特に古い時代は貴族等位の高い者が多かった。したがって、その様な人物が多数流される地には豊かな文化が伝えられ、栄える例が多い。日本では佐渡島等がその例に挙げられる。琉球王朝の場合、これに当たるのが八重山であり、特に波照間島が有名である。日蓮は流された伊豆や佐渡でも布教に努め、多くの帰依者や門下を出している。なお、室町時代中期から末期(戦国時代)における流罪は、幕府の秩序が京都近辺にしか及んでいないことから、流刑地にたどり着くまでに落ち武者狩りによって命を落とすケースが多く、実質的な死刑として機能していた時期があった(「喧嘩両成敗の誕生」参照)。
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