津田宣明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/28 21:27 UTC 版)
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つだ のぶあき
津田宣明 |
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生誕 | 津田宣明 1946年12月12日 ![]() |
死没 | 2009年8月18日(62歳没) 石川県金沢市 |
死因 | 交通事故による脳挫傷 |
別名 | ノブアキ・ツダ・インタナショ・ジェネ・マネ |
出身校 | 国立仙台電波高等学校 |
職業 | 政治運動家 |
津田 宣明(つだ のぶあき、1946年12月12日[1] - 2009年8月18日)は、宮城県石巻市出身の政治運動家。ノブアキ・ツダ・インタナショ・ジェネ・マネ[2]。
経歴
- 田代小・中学校、国立仙台電波高等学校卒業。
- 1965年 日本電信電話公社に就職。中央電気通信学園を経て、ニュービジネス協議会研修、社内の広報プロ研修、接客道研修、法務研修等々を受ける傍ら、キャンプ座間のルドルフ講師が教える Moosa's English School (横浜)と、ソニー・ランゲージ・スクール(東京)で英語を学ぶ。
- 1992年 財団法人逓信同窓会創立100周年記念北陸地方大会事務局長、1995年 世界体操競技選手権 NTT事務局長を歴任。[3]
- 営業局調査係長として、在日米軍の電気通信サービスや、地方行政関係の仕事にも携わりつつ、東京都調布市、神奈川県横浜市、埼玉県越谷市、石川県金沢市、福井県福井市、鯖江市、武生市、1997年1月15日以降は東京に戻り、保谷市、武蔵野市、三鷹市、千代田区、神奈川県川崎市、保谷市、三鷹市、新宿区と転居を重ねる。[1]
- 24時間風呂の訪問販売業等を経て、2006年頃からは石川県金沢市諸江町に在住し[4][5]、文筆活動も行っていたが[6]、2009年8月17日深夜、自転車で自宅附近を走行中に会社員の運転する軽乗用車にはねられ、脳挫傷で即死した[7]。62歳没。
政歴
- 2009年の第45回衆議院議員総選挙に、石川県第1区から立候補を表明。
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- 1月28日に県庁で行われた記者会見では「国民の生活が悪くなる中、総理大臣が簡単に辞職し、リーダシップが足りない」「公約に優先順位を付けて、国政の立場から経済の建て直しや福祉の充実に取り組みたい」等と決意を述べた[8]。
- 同年5月、出馬を断念した。
参考
- 大川豊 『日本インディーズ候補列伝』(DVD付) 扶桑社 2007年 ISBN 9784594053970
関連項目
註
- ^ a b 1999年東京都知事選挙政見放送での本人の発言から
- ^ 「ノブアキ・ツダ・インターナショナル・ゼネラルマネジャー」の略
- ^ 1999年東京都知事選挙政見放送での冒頭の候補者紹介から
- ^ 金沢商工会議所会報 #628 (pdf)
- ^ 金沢商工会議所会報 #653 (pdf)
- ^ 片山津温泉商工振興会主催「第4回雪へのひとり言」入選作品(北陸中日新聞)
- ^ 訃報(北國新聞)
- ^ 北陸放送、北陸朝日放送 2009年1月28日
外部リンク
固有名詞の分類
- 津田宣明のページへのリンク