泥流とその影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:22 UTC 版)
前述の通り、噴火によって発生した大規模泥流は、吾妻川・利根川を流下したため、流域の村々を次々に飲み込んで洪水などによる大被害を与えた。堆積した火山灰は利根川本川に大量の土砂を流出させ、天明3年の水害や天明6年の水害などの二次災害被害を引き起こした。天明泥流の被害を受けた川原畑村(家屋21軒が流れ4人が死亡)では、天明3年分の年貢が前年の.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄7以下にとどまる事態になったという。天明大噴火による泥流被害は、後の利根川の治水などにも大きな影響を与えた。長野原町小宿にあった常林寺の梵鐘は、噴火による土石流で押し流されたが、明治43年の大水害後、15km下流で見つかった。また、その龍頭は1983年に嬬恋村今井の川原で発見された。 天明泥流によって深刻な被害を受けた吾妻川・利根川流域には、各地に流死者を供養する碑などが見られる。2021年現在までに、群馬・埼玉・東京・千葉・長野の1都4県で140以上の供養碑や災害記念碑などが見つかっている。文化12(1815)年に建てられた鎌原観音堂の「三十三回忌供養塔」には、 天明三癸卯歳七月八日己下刻従浅間山火石泥砂押出於当村四百七十七人流死為菩提建之 文化十二乙亥歳七月八日 — 三十三回忌供養塔 とあり、鎌原村で流死した477人の戒名が刻まれている。 また、天明泥流は、巨大な岩塊を100km以上移動させるほどであったといわれ、現在も吾妻川・利根川流域には、泥流により流された浅間石と呼ばれる大岩が各所に存在する。渋川市川島にある「金島の浅間石」(大きさは東西15m・南北9.5m・高さ4m)もその1つで、群馬県指定天然記念物となっている。
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