法蔵部と大乗仏教
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法蔵部は三蔵に加えて他の部派には見られない二つの蔵を擁し、五蔵と呼ばれる。その二つとは菩薩蔵(Bodhisattva Piṭaka)と呪蔵(Mantra PiṭakaあるいはDhāraṇī Piṭaka)である。5世紀の法蔵部の僧で四分律を漢訳した仏陀耶舎(Buddhayaśas)によれば、法蔵部は大乗三蔵を受容したという。インドのウッジャイン出身の6世紀の僧侶真諦ははっきりと法蔵部と大乗仏教を結びつけて考え、直接的に大乗仏教におそらく最も近いものとして法蔵部を表している。 法蔵部の中から大乗経典を受け入れる者が現れ始めたのがいつごろかは知られていないが、『文殊師利根本儀軌教』(Mañjuśrīmūlakalpa)には、インド北西部クシャナ朝のカニシカ王(在位:127年-151年)が般若経の教義の確立を主導したことが記されている。カニシカ王在位中に同地域のジャーランドラ僧院で開かれた会議に500人のボーディ・サットヴァが出席したとターラナータ(英語版)は書き記しており、それに続けて彼は当時のインド北西部で大乗仏教が制度的に何らかの強みを持っていたのだと主張している。仏教学者エドワード・コンツェ(英語版)はさらに進んで、クシャナ朝時代のインド北西部で『般若経』は隆盛を極めて初期大乗仏教の「要塞にして囲炉裏」となったと述べたが、般若経の起源は大乗仏教にはなくむしろ大衆部と関係があると考えた。 ジョゼフ・ワルサーによれば、『二万五千頌般若経』(Pañcaviṃśatisāhasrikā Prajñāpāramitā Sūtra)と 『十万頌般若経』(Śatasāhasrikā Prajñāpāramitā Sūtra)は法蔵部と関係があるという証拠があるが、 『八千頌般若経』(Aṣṭasāhasrikā Prajñāpāramitā Sūtra)には法蔵部と関係があるという証拠がないという。 Schoyen Collectionに収蔵されているカローシュティー文字で記されたガンダーラ語経典は法蔵部に帰されている断片で、大乗仏教の基本的な実践徳目となっている六波羅蜜多が言及されている。
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