法制局時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:24 UTC 版)
昭和18年、成三は法制局参事官に任ぜられた。法制局は内閣に直属する常設機関で、内閣の法制に関する仕事を補佐することを任務としていた。国会へ提出される多くの法案は先ず、各省の意見を聞いて法律らしい形にしなければならないし、各省と協同して法案を作成し、国会を通過させるよう努力しなければならないので、各省から選ばれた人達と、法制局勤務を専門とする人達で構成されていた。しかも、総理大臣と直接結びついており、長官は大臣ではないが、行政では各省と並ぶ程の役所であり、法案作成のためには各省から最も頼りにされ、どの省とも苦楽を分かち合う立場に立っていた。成三は、法制局参事官として新しい仕事をよくこなし、第二部長、第一部長と昇進していった。戦争中の激しい空襲下、首相官邸に泊まり込み、内閣の中枢にあって法制局の任務を全うするために没頭し、戦争終結のため生命をかけて働いたのであった。法制局長官に昇進するのを目前にして、戦後の改革のため法制局が廃止され、法務府等にその仕事が移されることになった。成三は法制局次長を最後に、一時休養の意味もあって自然退職することになった。その後、法務局は昭和27年復活し、同37年からは内閣法制局と称されている。
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