河野氏の家紋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 15:38 UTC 版)
家紋は、伊予の古代以来の豪族である越智氏より続く「折敷揺れ三文字」を用い、第23代当主の河野通信より「折敷三文字」へ変更した。理由は鎌倉幕府の開府の時に鎌倉で行われた酒宴の席順が、源頼朝、北条時政に次いで河野通信が3番目で、「三」と書かれた紙が折敷に置いてあった。このことから、古来使用していた大山祇神社の社紋でもある「折敷揺れ三文字」を改め、席順の紙を上から見た「折敷三文字」の紋を頼朝から貰ったと伝えられる。 時宗は、開祖一遍が河野通信の孫となる事から、宗紋(宗派の紋)は通信以後が用いた「折敷に三文字(中の三文字は文字様ではなく、意匠化されたもの)」となっている。時宗では、もっぱら「隅切り三(すみきりさん)」と呼ぶ。
※この「河野氏の家紋」の解説は、「河野氏」の解説の一部です。
「河野氏の家紋」を含む「河野氏」の記事については、「河野氏」の概要を参照ください。
- 河野氏の家紋のページへのリンク