没収試合で掴んだ初優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:28 UTC 版)
「福岡ソフトバンクホークス」の記事における「没収試合で掴んだ初優勝」の解説
1946年シーズンは、11月5日の最終日まで優勝の行方がわからなかった。この日、後楽園球場で東京巨人軍対セネタース、そしてグレートリング対中部日本軍の変則ダブルヘッダーが行われ、巨人が勝ってグレートリングが敗れると2チームが同勝率で1位となり、同点決勝戦に持ち越される可能性があった。だが、第1試合で巨人が1-4で敗れたため、グレートリングは出番を待たずに創部9年目、悲願のリーグ戦初優勝を決めた。なお、グレートリングはその最終戦で別所昭を先発に迎えたが、鼻血と失神により途中降板するアクシデントがあり、4-7で敗れている。 鶴岡一人は後年「(優勝したのは)パシフィックの藤本さん(同チーム監督)のおかげだよ」と述べている。これは、パシフィックは戦前の既存球団に在籍していた藤井勇・白石敏男を獲得。すでに両選手は戦前所属した球団から給料をもらっていなかったので、藤本は自由契約の身分だと考えて獲得したが、日本野球連盟は調査をすることを決めて「調査が完了するまでは公式戦出場を認めない」とした。だが、それを無視して2人を無断で5月の公式戦4試合に出場させてしまい、後にこれらが没収試合となってしまった。このうち2試合がグレートリング戦で、5月23日の試合は7-5でグレートリングが勝っていたので勝敗には関係ないが、26日の試合はパシフィックに4-7で敗戦していた。これが没収試合の規定で9-0でグレートリングの勝利となった。もし没収試合がなく、最終戦が上記の成績だったら、巨人対グレートリングの同点決勝となっていた。
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