沖縄県におけるフィラリアの撲滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:54 UTC 版)
「フィラリア症」の記事における「沖縄県におけるフィラリアの撲滅」の解説
沖縄地方がフィラリアの浸淫地であることは、1936年の沖縄県下一斉調査により、県民の3分の1が保虫者であることからわかっていたが、防圧の予算が確保できずそのままになっていた。戦後初の調査は、1949年に沖縄県国頭郡宜野座村でおこなわれ、このときの保虫率は13%であった。1964年に米国立法院でフィラリア防圧事業案が成立、宮古島より防圧事業が始まった。宮古島住民の99%が検査に応じたところ、結果は19%が陽性であり、特効薬スパトニンの投与でミクロフィラリアは82%消滅した。2回目は1966年に、3回目は1967年に実施された。沖縄諸島の日本返還を挟んで、作戦開始から13年後の1978年には、沖縄県全体で保虫率が0となった。1988年11月、宮古保健所にフィラリア防圧記念碑が建てられた。スパトニン(英名 Supatonin)は、クエン酸ジエチルカルバマジン錠で商品名である。回虫に有効なサントニン(一般名)の名称の前に「スーパー」をつけた。 愛媛県西宇和郡伊方町(当時は三崎町) 集団検血とスパトニン投薬を行い、世界で初めて地域駆除に成功。上記の沖縄よりも無論先である。
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