江戸時代の行基図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:18 UTC 版)
江戸時代に入ると、印刷技術の発達により大量印刷された行基図が登場する。その殆どが『拾芥抄』あるいは『南贍部洲大日本国正統図』の系統をひく地図だが、社会の安定に伴う交通の発達で、より実際の日本地図に近い地形が描かれるようになった。慶安・承応・明暦年間に刊行された行基図が現在も残されている。 だが『正保日本図』刊行以後、交通手段や測量技術の発達などにより、より緻密な日本地図が作成・刊行されるようになり、行基図は実用利用・商業出版の場からは姿を消していった。 もっとも教育・芸術分野では、行基図が後々までに使われてきた。文政年間の九谷焼や天保年間の伊万里焼などに描かれた行基図付の「地図皿」は日本国外にも輸出された。
※この「江戸時代の行基図」の解説は、「行基図」の解説の一部です。
「江戸時代の行基図」を含む「行基図」の記事については、「行基図」の概要を参照ください。
- 江戸時代の行基図のページへのリンク