江戸時代の初期の和算家の3.16
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:05 UTC 版)
「円周率」の記事における「江戸時代の初期の和算家の3.16」の解説
江戸時代初期の数学書である毛利重忠の『割算書』では円周率を3.16としている。その弟子の吉田光由の『塵劫記』でも3.16となっている。しかし、当時の先進国中国の文献にはこの3.16という数値は見られず、中国の文献の数値を引き写したとは考えにくいという。そのため、なぜ初期の和算家が円周率を3.16としたかの理由はよく分かっていない。おそらく、毛利重忠とその弟子の吉田光由などの先駆者らは、円周率を実際に測定して3.14ないし3.16ほどの値を得たが、最後の桁の数字に確信が持てなかったため、「円のような美しい形を求める数値は、もっと美しい数値になっていいはずだ」と考え、「美しい理論」を求めた。その結果 √10 = 3.16 が美しい数値として採用されたと推測されている。その考えは日本で2番目に3.14の値を計算で求めた野沢定長の『算九回』(延宝五年:1677年)の中にも見られ、その著書の中で「忽然として円算の妙を悟った」として「円周率の値は形=経験によって求めれば3.14であるが、理=思弁によって求めれば3.16である」として「両方とも捨てるべきでない」とした。
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