江戸幕府による統制と戒律への関心
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「真言宗」の記事における「江戸幕府による統制と戒律への関心」の解説
江戸時代に入ると、江戸幕府は仏教界に対して新たな宗教統制を講じ、1604年(慶長14年)に関東真言宗古義法度が出された。 1615年(元和元年)7月24日には、徳川家康が真言宗諸法度を真言宗諸本山・諸寺に対して出し、幕府の監視下に置かれることになった。同時に、幕府の宗教政策である寺壇制度が確立した。宗門改などを行うことで行政機関の役割を果たし、幕府の支配体制に完全に組み込まれた。 寺壇制度は諸本山・末寺にとっては財政的な安定を得たが、一部の諸本山・末寺に綱紀のゆるみも起きた。このことから、浄厳・慈雲らが戒律に関心をよせ、戒律の研鑽・研究による復興を行った。
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