江州音頭の前身としての祭文音頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 02:03 UTC 版)
「祭文音頭」の記事における「江州音頭の前身としての祭文音頭」の解説
上述のデロレン祭文は、語りの合間に法螺貝を拡声器のように用いて、一同で「♪ デロレン、デロレン」という合いの手を入れることから、その呼称がある。同様の成立過程を辿ったものには、願人坊主が事とした「あほだら経」や、「ちょんがれ」(ちょぼくれ)、「春駒節」、「ほめら」などの諸芸があった。しかし、これらの芸能は、テレビジョンの普及した高度経済成長期を境に継承者は絶えてしまった。 文化年間に近江国河瀬村(滋賀県彦根市)に生まれた西沢寅吉は、当初、近江の神崎郡八日市(東近江市)で板前をしていたが、生来の歌好きが昂じて文政12年(1829年)に武蔵国のデロレン祭文の名人桜川雛山に師事した。寅吉は桜川歌寅と称し、祭文に歌念仏・念仏踊りを採り入れて独特の節回しを考案し、話芸と踊りを融合させた新たな音頭を作り上げた。これが祭文音頭である。祭文音頭は当初、近江の八日市で踊られた。 歌寅はさらに、親交のあった奥村久左衛門(初代真鍮家好文)の協力で節回しや演目等を整備し、明治初年に近江国愛知郡枝村(滋賀県犬上郡豊郷町)の千樹寺で踊りを披露した。これが、江州音頭の始まりとされる。歌寅は師匠桜川雛山の許しを得て、初代桜川大龍を名乗り江州音頭の家元となり、その普及に尽くした。
※この「江州音頭の前身としての祭文音頭」の解説は、「祭文音頭」の解説の一部です。
「江州音頭の前身としての祭文音頭」を含む「祭文音頭」の記事については、「祭文音頭」の概要を参照ください。
- 江州音頭の前身としての祭文音頭のページへのリンク