汚染との闘い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 05:33 UTC 版)
「大江川 (名古屋市)」の記事における「汚染との闘い」の解説
かつての大江川は水質が良好で地域の人々の遊び場となっていたというが、高度経済成長期になると流域に多くの工場が林立したことで周辺工場から排出された有害物質により大江川の水質は悪化し、1973年(昭和48年)の調査では水銀、鉛、ヒ素、ポリ塩化ビフェニルなどが検出される状況となっていた。これらの対策として名古屋市は「大江川環境整備事業」を1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)にかけて実施し、上流部の全面埋め立てにより「大江川緑地」を整備した。また下流部1820 mについては、1979年(昭和54年)から1986年(昭和61年)にかけて名古屋港管理組合が「大江川下流部公害防止事業」を行い、汚染土の被覆などが行われた。2000年(平成12年)にはダイオキシン類による基準値を20数倍上回る汚染が確認され、汚染の原因となった東レが行政指導を受けている。現在でも埋め立てが行われていない下流部では河床が重金属などで汚染されていると推定されており、大規模な地震が発生した場合に津波や液状化によって汚染土が拡散される可能性があるため、リニア中央新幹線の工事で排出された土砂を利用して下流部を埋め立てる計画がある。
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