比較法の不足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
この点に関する批判には、後年の梅も同意している。 此の民法は殆ど全くフランス民法を範とし…裁判例、学説…稀には…イタリー民法、オランダ民法、ベルジックの民法草案を参考したけれども、之等は皆仏法を基とするものである。これは甚だ遺憾な事と言はなければならない。百年前の仏法は…欠点の多いのは当然である。我が民法起草の当時ドイツ民法の草案は…学理上最も進歩したものと言はれて居った。…サクソン民法の如き、余程完全に近い法典もあった。スイス債権法は…明治14年には完成して公布せられた。スイス各州の法典中チュウリンゲン民法の如きは…完全に近いものである。以上の如く完全な材料があるにも拘はらず之を参考しなかったことは、学者の側から非難せられるところである。 — 梅謙次郎、東大民法講義、1907年(明治40年) 磯部の反論は以下の通り。 法理の発達したるは…仏…英…独…三者は相鼎立して互に甲乙なし…然らば我が民法は何を以て仏の法典を模範とし…やと云ふに唯是れ英には印度法の外成文の民法なく独の草案は実に仏型より出て彼此の間各段差異なきことを認めたり…羅系にまれ英系にまれ其の他の法系にまれ法理は必ず一に帰着すと…雖も其実論法を異にするものあるが故に数箇の法系の長を採り其理論を折衷し互ひに支吾なきを期するは既に容易の業にあらず…是我民法は羅馬法系に属する数国の成典を模範として…編纂されたる所以なり。 — 磯部四郎「駁東京日々新聞民法修正論」1892年(明治25年)5月4日
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