歴代総主教一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 14:11 UTC 版)
詳細は「モスクワ総主教・モスクワ府主教の一覧」を参照 ロシア語名ではなく、教会スラヴ語の再建音を用いて記述する。例えばИосифはヨシフ(ロシア語名転写)ではなくイオシフ(教会スラヴ語再建音)として記述する。ロシア正教会においても日本正教会においても、日常的に奉神礼において用いられるのは教会スラヴ語読み・教会スラヴ語風転写だからである。括弧内は在位年。 イオフ (1589年 - 1605年) イグナティ (1605年 - 1606年) ゲルモゲン (1606年 - 1612年)空位 (1612-1619) フィラレート (1619年 - 1633年) イオアサフ1世 (1634年 - 1642年) イオシフ (1642年 - 1652年) ニーコン (1652年 - 1658年)ピチリム(総主教代行:1672年からモスクワ総主教) (1658年 - 1667年) イオアサフ2世 (1667年 - 1672年) ピチリム (1672年 - 1673年) イオアキム (1674年 - 1690年) アドリアン (1690年 - 1700年) ステファン・リャザン (総主教代行:1700年 - 1721年) ピョートル1世により1700年のアドリアン総主教永眠後、後任の選立は許されず、総主教代行ステファン・リャザンが永眠すると総主教座は廃止され、代わって聖務会院が設置された。以降1917年までモスクワ総主教座は空位となる。 聖ティーホン (1917年 - 1925年)空位(ソヴィエト政権により後任着座が許されず) (1925年 - 1943年)ペートル・クリチキー:総主教代行 (1925年 - 1936年)、実際の代行の任を果たせたのは1925年まで。1936年に銃殺される。 セルギイ1世:総主教代行代理 (1926年 - 1936年) セルギイ1世:総主教代行 (1936年 - 1943年) セルギイ1世 (1943年 - 1944年) アレクシイ1世 (1945年 - 1970年) ピーメン1世 (1971年 - 1990年) アレクシイ2世 (1990年 - 2008年) キリル1世(2009年 - )
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