欧州選手権1984
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 09:19 UTC 版)
「ミシェル・プラティニ」の記事における「欧州選手権1984」の解説
1982年のワールドカップ後、新たにルイス・フェルナンデスが代表に加わり守備的MFを担ったことでチームとしての安定感を増し、プラティニはイタリアで積極的な得点感覚を身に付ける など、チームとして熟成期を迎えていた。 1984年のUEFA欧州選手権では初戦でデンマークと対戦。均衡した試合は78分に自ら決勝点を決め1-0で勝利。この得点でプラティニは代表通算27得点としたが、この記録はそれまでジュスト・フォンテーヌの保持していたフランス代表の最多得点記録を塗り替えるものだった。続くベルギーを5-0、ユーゴスラビアを3-2で下し1位でグループリーグを突破したが、この両試合でハットトリックを達成。準決勝のポルトガル戦は常に相手にリードを許す展開だったが延長戦の末、プラティニの逆転ゴールにより3-2で勝利。 パルク・デ・プランス競技場で行われた決勝のスペイン戦は77分に相手ゴール前18mの地点で得たフリーキックをプラティニが決め先制。その後も追加点を奪ったフランスは2-0でスペインを下し、初の欧州チャンピオンとなった。 プラティニは毎試合得点の9得点を上げる活躍で得点王となった。また彼を中心に脇を固めるジレス、ティガナ、フェルナンデスとで形成する中盤(フランス語: carré magique、魔方陣の意)は大会を通じて好調を維持し、パスワークと攻撃力は他を圧倒した。この大会の結果、プラティニは点取り屋としてもゲームメーカーとしても一流である事を示した。
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